終わりの始まり。始まりの終わり。。

生きているものは必ず死に至ります。どんなに元気な動物も。どんなに強い動物も。生きている限り必ず死にます。

ふくもももいつかは死にます。私もいつかは死にます。あなたもいつかは死にます。

死んだ後の世界を考えるようになったのは二年ほど前から、二度の連続入院と今もなお続いてる病のせいだと思います。

人間には欲望があります。フクロモモンガには欲求というより本能があるんだとおもいます。ただ、私には人間の欲望のうちほとんどを失ってしまってます。

人間の三大欲望は食欲・性欲・睡眠欲といわれてます。

味覚を失った私には食欲がなくなりました。(今は少し改善に向かってる)

性欲は元々ありません。。

睡眠薬と色々な薬を飲まないと眠れない私には睡眠欲というものがありません。この数年間夢を見るということが私にはありません。昔はちゃんと夢の記憶があったのですが。たぶん薬のせいでしょう。。

人間の最後に残る欲は食欲になります。少し前まで何を食べてもゴミのような味がする異味症となった私は、食事をするという行為は単純に人間という生物に栄養を接種させて細胞を殺さないようにするためだけの行為になってしまいました。食事を味を楽しむことを奪われるととんでもない絶望感があります。食べることが面倒になり、食事の時間が嫌いになります。

なので、ふくももさんには食事だけは楽しみにしてもらえるよう色々な工夫をしています。今の大好物の煮干しにたどり着くまでどれだけのものを試したか。。食事は基本的ペレットだけで十分なのですが、それでは味の変化がなくて可哀想な感じがするので好きなトウモロコシ、リンゴ、ビーフ、鳥のささみ。これを毎日用意しています。

ふくももさんと、私はどちらが先に終わるのだろう。終わりが見えそうな私はいつも考えてしまいます。私は子供がいませんが、自分の子供ができるとこんな感情になるのでしょうか。でも、子供は育ちますが、ふくももさんはずっとふくももさんのままです。当然誰かが食事やお世話にしないと死にます。フクロモモンガは日本の環境では生きていけない動物です。そのふくももさんを迎え入れたからにはそれなりの責任があるとおもってます。

このブログを見てね。といったひとは、4人ぐらいしかいません。

どうか、そのなかの一人でも私が終わったときにふくももの世界を守っていただけると嬉しいです。

ふくももの一年のサイクルをここに残しました。。どうか役に立つ日がきますように。。

ふくももさんはいつも美味しそうに食事をとっています。

監視カメラの映像

どうかどうか、ふくももさんの終わりが来るまで、臆病なふくももさんが幸であるように希う。。

終わる世界。2

私にはいろいろな病があります。ですが、世の中にはもっと苦しんでいる方もいてることもわかっているので自分が不幸だとは思ったことはありません。

フクロモモンガ生活を始めて大きく変わって点がいくつかあります。

ひとつは、ふくももがちゃんと天寿を全うできるように最善をつくすこと。

そのためにできることはなんでもやろうと思いました。

もうひとつ、自分の命がいつまでも続かないことを改めて理解しました。当然のことなのですが、自分の世界が終わることをより近い未来と認識した。という感じでしょうか。

もちろん体調が悪くなってきたのもありますが、終わる世界をより想像できるようになった感じがします。

私の世界が終わっても、ふくももの世界は続いてほしいので、ここに情報として残すことにしています。

できれば、1年間続けることで、春夏秋冬のやるべきこと、やらないといけないことをすべて残したい。

ふくももの世界を渡された人は迷惑かもしれませんが、ここを読んでなんとかその世界を守ってほしいです。

もちろん私自身がふくももの天寿を全うさせることがベストです。その努力もします。しかし、自信が全くありません。来年、半年先のことさえ想像ができません。

とりあえず、あと半年、この記録は続けていこうと思います。

終わる世界。

2023年になりました。ふくももさんは2023年とか考えないでしょうね。勝手に年が明けました。

ふくろももんがの平均寿命は小動物としてはすごい長いほうです。10年から13年といいわれてます。元気な子は15年も生きるので、犬と同じぐらいです。

ふくももを育てたいと思ったのも寿命が長い。というのが大きいです。同じ小動物に比べるとかなり長生きしてくれます。

なので、育てるひとはそれなりの覚悟で飼い主になってください。

ふくももの年齢はまだ二才半です。人間で言うと中学生ぐらいですかね。。とても元気なので永く生きてほしいと切に願います。

たぶん。私より永く生きてくれると思います。

ただ、そうなると私が先に居なくなる。その後、ふくもものお世話を誰がしてくれるのか。ということを考える。私が終わった世界でもふくももが不便なく生きられるように。

このサイトはいまから半年前から、何かを残さなければ。。と、思ってやっといまに至ります。

そう思ったのは私が色々な病になって。

それは、今も続いており。病の終わりが見えず、病より私が終わるということが身近に感じられたからです。

来年は生きてるのか考えられないから。良いお年を。。と、いつも言われて、同じように返してましたが。今年は誰にも言えませんでした。

良いお年を。というのは、来年も生きて。その生きる時間が良いことを。ということで。そこには来年という未来が。ある前提での言葉なだとおもいました。私はその言葉を貰っても何もいえず。言えることが、未来をみてるようで。今までの自分が何も考えず。そう思えたのがすごいことだったのだと改めて感じました。

このサイトは、他人に見せるために作ったわけではありません。むしろ知らなくていい。

私が終わったときにふくももの親になってくれるひとのために作りました。

私が終わったときに、ふくももを。と、言われた人は迷惑かもしれない。ただ、なにも無いよりかはなにか残ろうと、いままでも、これからもなにかを残します。

私が終わったあとには、このサイトを見ればふくももの親になれるように。。些細なことでも、なんでも、ふくもものために残します。

ふくもものために。あと、ふくもものあとを見てくれるひとが一人でもいてますように。。すこしでもふくももが永く幸せに生きるように。。